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風水の基本   日本の風水エネルギースポット 
一 宮
  
「一宮」とは、平安時代初期から11世紀にかけて整った、神社の社格制度で、一国に一つのみが基本。
つまり、1000年以上の歴史がある、由緒ある古社である。
近 畿 地 方
敢国神社
(三重県一之宮)
伊賀の国
【一宮めぐり】近江、伊賀、伊勢、尾張:敢国神社 創建年代は不詳である。当初は、南方にある現在の南宮山の山頂附近で祀られていたが、後に現在地の南宮山の山麓に移された。
一帯は南と北の川に囲まれた丘陵地にあり、東南に大きな山が広がる。西からアプローチする境内は、小さな山に囲まれた盆地で、近くには池もある。
椿大神社
(三重県山本町)
伊勢の国
創建は2000年以上前であるが、伊勢平野を見下ろす鈴鹿山系の中央に位置する高山を天然の社として、太古の神代より祭祀されていた。
東南からアプローチする敷地は、まさに風水の適地。北西の祖山、両脇に北東と南西の峰。東南に開かれた場所に境内はある。北西から東南に流れる川が、結界を作っている。入道ヶ嶽山頂に奥の宮は鎮座し、 山頂一帯には太古の磐座が点在している。
都波岐奈加等神社
(三重県一宮町)
伊勢の国
創建は1500年以上前、明治時代に都波岐神社と奈加等神社を合併したもの。伊勢国一宮は、椿大神社と都波岐奈加等神社の二つがある。
海に近い平地にあり、北に川が流れ、北西に丘陵地が広がる。境内へは、南からアプローチする。
伊雑宮
(三重県磯部町)
志摩の国
画像:Izawa-no-miya 01.JPG 創建は2000年以上前で、皇大神宮(内宮)の別宮であり、外宮とともに東南のライン上に並んでいる。南からアプローチする敷地は、まさに風水の適地。北の祖山、両脇に東と西の峰。南に開かれた場所に境内はある。西と東に流れる川が、南で合流し結界を作っている。
本殿は皇大神宮(内宮)と同じ、ちょうど南向きに立っている。しかし、状況に応じて少し建てる向きを変えたりしたらしく、創建当時、完全な南向きであったとは限らないらしい。
伊射波神社
(三重県安楽島町)
志摩の国
鎮座は不明。創建から1500年以上といわれている。伊勢湾を望む、人里はなれた岬の突端に、境内はある。海岸に建つ鳥居をくぐると、石畳の参道が続く。 鳥居は海に向かって建っており、昭和初期までは海岸まで船で来て参拝したという。
境内には、裏鬼門の南西から鬼門の北東へと、進むことになる。
建部大社
(滋賀県大津市)
近江の国
建部大社拝殿 いまから1880年以上前、現在の東近江市五個荘付近に、祀ったのが始まりとされ、1300年以上前に現在地へ移転した。境内は、琵琶湖の南はしに位置する場所で、西にある瀬田唐橋から東へ旧東海道を進む。境内へは北西から入り、東には川が流れ、結界を示している。周辺は寺院や遺跡がたくさんあり、パワースポットとなっている。
加茂別雷神社
(京都市上加茂)
山城の国
創建は神代の昔。社殿の北にある、「神山」を御神体とする。通称「上賀茂神社」と呼ばれ、伊勢神宮の次位の神社とされる。京都御所の北にあり、西と東に流れる小川が、南で合流し結界を作っている。典型的な風水適地である。社殿には二つの川の合流地点から、川を渡り南からアプローチする。「下鴨神社」も同じ構成をしている。
加茂御祖神社
(京都市下鴨)
山城の国
賀茂御祖神社(下鴨神社) 創建は2000年以上前で、通称「下鴨神社」。この場所は、さらに古代から祭祀場であったらしく、周辺の発掘調査で、弥生時代の住居跡や土器がたくさん発掘されている。
京都御所の鬼門、北東に位置し、西と東に流れる川が、南で合流し結界を作っている。典型的な風水適地である。社殿には二つの川の合流地点から、川を渡り南からアプローチする。
出雲大神宮
(京都府亀岡市)
丹波の国
創建は約1300年前。背後に「千年山」という神体山がある。社殿の南西には神池があり、社殿の北から小川が流れ込んでいる。また社殿の裏には、磐座や古墳もあるパワースポット。
北東側にまとまった山、西には大きな川があり、京都御所の北西に位置する。周辺は寺院や古墳がたくさんあり、パワースポットとなっている。
籠神社
(京都府宮津市)
丹後の国
神門 創建は神代の昔、境内の地続きに有名な日本三景の一つである、天橋立が存在する。北の山を背に、南に向いた社殿の東側を川が流れる。社殿の北東約400mの所に、元の鎮座地である奥宮、真名井神社がある。元々ここに、豊受大神が鎮座していたが、その後、伊勢神宮へ移った。そのため、「元伊勢」という。
奥宮には本殿はなく、拝殿の裏に2つの磐座がある。右の磐座主座は豊受大神を主祭神とし、左の磐座西座は天照大神を主祭神とする。また、境内に「真名井の水」という、神水が涌き出ている。まさにエネルギースポット、「龍穴」である。
大神神社
(奈良県奈良市)
大和の国
大神神社 三輪明神とも呼ばれ、「日本最古の神社」と称されている。少なくとも、日本国内で最も古い神社のうちの一つである、と考えられている。東側背後にある、三輪山そのものを神体(神体山)として成立した神社。今日でも本殿を有さず、拝殿から三輪山そのものを仰ぎ見て拝む。三輪山信仰は縄文か弥生にまで遡る、と想像されている。社殿へは西からアプローチし、小川が囲い込み結界を示す。周辺は神社がたくさんあり、パワースポットとなっている。
枚岡神社
(大阪府東大阪市)
河内の国
創建は2600年以上前で、神津岳の頂に祀ったことに始まる。その後、山頂から中腹の現在地に移された。神津岳山頂には、現在も奥宮がある。社殿は東の山を背に建ち、西からアプローチする。境内には水が豊富で、小川が囲い込み結界を示す。周辺は寺院や神社がたくさんあり、パワースポットとなっている。
大鳥大社
(大阪府堺市)
和泉の国
創建は1850年以上前で、全国の大鳥神社の本社とされる。境内一帯は「千種の森」と呼ばれ、多数の樹木による景観が美しい。海岸に近い平地にあり、東に川が流れている。
周辺は大きな天皇陵や、古墳や遺跡がたくさんあり、パワースポットとなっている。特に鬼門方向、北東に集中している。
住吉大社
(大阪府住吉区)
摂津の国
創建は1800年以上前で、日本全国の住吉神社の総本社である。境内は今は完全な市中だが、江戸時代までは境内は海に面していた。北東の鬼門方向には、万代池や帝塚山古墳、周辺には多くの寺院がある。境内には多くの池があり、社殿には橋を渡って、西からアプローチする。
出石神社
(兵庫県出石郡)
但馬の国
創建は1100年以上前で、全国の一宮の中で唯一、渡来神を祀る神社だ。
西からアプローチする敷地は、まさに風水の適地。東の祖山、両脇に北と南の峰。西に開かれた場所に境内はある。西に流れる大きな川が、結界を作っている。現在の社殿自体は南向きだが、かっては西向きだったと云う。 鬼門の北東に禁足地があり、入ると祟りがあるらしい。
粟鹿神社
(兵庫県朝来郡)
但馬の国
但馬国随一の古社であり、2000年以上の歴史があるとも言われる。しかし、但馬国一宮は出石神社と二社とされている。山に挟まれた谷あいにあり、南に山、北に川に挟まれた立地にある。
近年発掘された旧参道は、社殿の鬼門方向にあり、裏鬼門にある境内へまっすぐ進むことになる。現在の社殿へは、東に回り込んでアプローチする。社殿自体は北西を背にして東南向きで、東には川があり結界を示している。
伊和神社
(兵庫県穴粟郡)
播磨の国
播磨一ノ宮 伊和神社! 創建は1850年以上前で、山に囲まれた風水の適地にある。また西と東に流れる川が南で合流し、さらに北西と北東を流れる川が北で合流し、みごとな結界を作っている。
もともと、社殿を北向きに造営したという伝承があり、現在の社殿も北向きである。御神体の石は鶴石と呼ばれ、本殿裏の階段を下りた場所に祀られている。伊和は岩のことで、磐座・山・鉱石などを意味するとも考えられている。境内には東から入り、杉、檜 等の大樹が繁茂しており、パワースポットをみごとに証明している。 
伊弉諾神宮
(兵庫県津名郡)
淡路の国
日本最古の神社で、日本書紀で御鎮座の起源を明かにしている。 国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、最初に生んだ淡路島のこの地に幽宮を構え、そこに鎮まったと記される。つまり社歴はかなり古く、2600年以上前とも言われる。
周辺は低い山が連なり、東側の川は北から南まで境内を取り囲んでいる。社殿は北を背に南向きに建ち、池を渡り南からアプローチする。本殿下には古墳があり、そこが幽宮ともいわれる。
日前、国懸神宮
(和歌山県秋月)
紀伊の国
社歴はかなり古く、2600年以上前とも言われる。ここは東国への出口の伊勢、西国への出口の日前、大和の要所であり、中央構造線の東西端にもあたる。伊勢と日前にほぼ同時期に、天照大神が祀られたというほど、格式が高い神社。しかし、もともとは皇室神ではなく、海の神であったとされている。そのため、現在でも本殿は南面しているが、神々は海側である西を向いているそうだ。境内の北には紀ノ川が取り囲み、東南の山々には古墳が点在する。
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