関 東 地 方 |
氷川神社
(埼玉県大宮市)
武蔵の国 |
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創建は2400年以上前といわれる。北西の男体社・東南の女体社・その中間の簸王子社、一直線に並ぶこの三社が、一体で氷川神社を形成していたという説がある。
また、氷川神社、所沢山口の中氷川神社、奥多摩氷川の奥氷川神社が、それぞれ、本社・中社・奥社の関係で一直線に並んでいるという。
いまは男体社が、氷川神社である。参道は南から続き、社殿には東南からアプローチする。平地にあり、東に川があり北には池がある。現在の境内は約3万坪、明治になって社殿背後の16万坪が大宮市に寄付され、大宮公園となった。西には新幹線の駅がある。 |
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香取神社
(千葉県佐原市)
下総の国
南向き |
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創建は2600年以上前といわれる。日本全国に約400社ある、香取神社の総本社である。
『神宮』の称号は、明治以前には伊勢・香取・鹿島のみだった。
周辺は北に利根川がある、起伏にとんだ丘陵地で、境内は低い山に囲まれ、風水の適地となっている。社殿は北を背に、南向きに建っている。 |
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玉前神社
(千葉県一宮町)
上総の国 |
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創建は1200年以上前といわれる。房総半島、九十九里浜の最南端に位置し、縄文弥生の頃から人々の営みがあったらしく、遺跡や貝塚がたくさんある。
東側の海に近い立地にあり、北に太い川、西に細い川が流れ結界を作っている。珍しく、社殿から南西方面、裏鬼門に山がある。 |
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安房神社
(千葉県館山市)
安房の国 |
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創建は2600年以上前といわれる。当初は、男神山・女神山という二つの山に、神社の起源があったが、時代が下り現在の場所に移された。
境内は、西側の海に近い立地にあり、珍しく、北からアプローチする。社殿の裏、南方面に山があり、東と西に尾根があり、北に川が流れ、結界を作っている。
基本パターンの逆配置である。 |
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寒川神社
(神奈川県寒川町)
相模の国 |
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創建は1500年以上前といわれる。いまは相模川の河口から、約7キロ遡った左岸の低台地上に境内はある。しかし古代には、相模湾がこの辺りまで入り込んでいたらしい。
西側に大きな川があり、さらに西と東を小さな川に囲まれた平地にある。参道は裏鬼門の南西から入り、神殿に向かうことになる。現在では、八方除けの守護神として、参拝者が集まる。 |
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浅間神社
(山梨県一宮町)
甲斐の国 |
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数多い浅間神社のなかで、こちらは富士山の北側にある。
今から1100年以上前、現在の山宮神社の地、神山の麓に鎭祭した。この場所は地形的にも、山に囲まれ川にも囲まれ、まさに風水の適地である。境内には、北西からアプローチする。
しかしその後、北西方向に離れた現在地の平地に、今の社殿を造営した。そこは、南西には川が流れており、結界を作っており、川を渡って南から入る神社である。 南西には、国分寺がある。 |
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日光二荒山神社
(栃木県日光市)
下野の国 |
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今から1200年以上前、現在の本宮神社の地に鎭祭した。この場所は地形的にも、山に囲まれ川にも囲まれ、まさに風水の適地である。境内には、東南にある神橋を渡ってアプローチする。境内を囲うように、東や南に川が流れており、結界を作っている。
その後、北西方向に離れた現在地に、今の社殿を造営した。ここも小さく山に囲まれ、まさに風水の適地である。さらに北西に進んだ山には、別宮滝尾神社があり、本宮と一直線に並んでいる。この三つを合わせて、日光三社権現という。東隣には、東照宮がある。 |
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一之宮貫前神社
(群馬県一ノ宮)
上野の国
南向き |
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今から1400年以上前、創建した。この場所は地形的にも、低い山に囲まれ川にも囲まれた丘陵地で、まさに風水の適地である。丘の北側斜面、およそ2万6千坪が境内で、渓間を切り開いて建造され、しかも南向きに建っている。そのため正面参道からは丘を上って嶺に出て、それから石階段を中腹まで下って社頭に達する順路になる。この様に「1度のぼってからくだる」参道は珍しく、いわゆる「下り宮」として、特異な形態を有している。 |
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鹿島神宮
(茨城県鹿島町)
常陸の国 |
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今から2600年以上前、現在の地に創建した。日本全国に約600社ある、鹿島神社の総本社である。
平安時代に、「神宮」の称号で呼ばれていたのは、伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の3社だけだった。この場所は西に大きな川、東には海に囲まれた丘陵地、まさに風水の適地である。
境内には、西からアプローチし、社殿の真後ろには池がある。 この池は、かんばつにも、絶えることのない霊泉で、神代より枯れることなかったといわれる。 |
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