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風水の基本   日本の都市づくり  

日本のすべての首都に、風水が用いられました。都市づくりは、風水本来の使命です。

東京は・・・今も日本最高の風水都市
地 形
山脈や川の流れが描かれている、日本の地図を見た風水師ならば誰でも江戸、今の東京が日本で一番強い風水都市であると答えるでしょう。
そして、中心は今も昔も皇居、つまり江戸城です。

さて、江戸の山脈の祖山は、ほとんどが富士山にさかのぼっています。

富士山は世界に類をみない美しい単独峰で、昔から「霊峰」と呼ばれるほどたぐいまれなるエネルギーを噴出しています。

そのエネルギーが江戸に注ぎ込まれているのを、当時の風水師は見抜いていたのです。
巨大都市化計画
江戸の安定した政治を実現した有名な徳川家康には、とても優秀なお抱えの風水師がついていました。

一説にはその人物が、天海僧正ではないかといわれています。

完全に理想的な姿ではなかったため、さらに完璧な風水都市に造り上げるために、非常に多くの設備工事を実施していました。

人工的に川を造り、暴れ川であった利根川をはるか北方に曲げるなど、巨大都市化計画が着々と進められました。

そして、この事業はこの後、徳川家に代々受け継がれていきました。
パワーの強化
完成当時の江戸城の内堀は、渦巻きを描き、さらにパワーを強めていました。しかし、現代では失われています。

その代わりに、山手線などの環状線が活発に動き、一層パワーを強めています。



京都・・・・中国流風水との別離
地 形
平安時代の平安京の街、今の京都の街は、風水思想にもとづいて整備された都市でした。

そして、山に囲まれた盆地は、珍しく中国流の四神相応の図にも叶っていました。
その中心は、焼失した大極殿であり、今の御所の場所ではありません。

今の御所の場所は、平安京の北東の隅になります。そのために、都市のパワーはダウンしたかもしれません。
巨大都市化計画
さて、すでに理想的な山脈を持っていた京都の地形に、あと必要なものは水だけだと、当時の風水師は言いました。 

すでにある細い川に、勢いをつけることが、平安京の都市計画に必要な課題だったのです。

町外れを蛇行していた川をせきとめ、街の中心部近くに移し、川幅を広げやや直線的にして、水流に勢いを持たせました。こうしてできた人工の川が、鴨川なのです。
その後の風水
平安京は、中国流の「自然の征服」を基本としましたが、度重なる洪水や天変地異、火災で都市機能は失われていきます。

そのため以降の日本では、江戸を含め、「自然との共存」を基本としていきます。 このとき、中国流との別離が、スタートしたのです。現代にも必要なことです。

またその後に首都となった鎌倉では、要所要所に神社やお寺などを配置したりしてはいます。

ただし、山並みを切り通して道をつくったり、崖を削って要塞のようにしたりと、風水よりは戦の都合を重視していたようです。
広島・・・・二葉山とエネルギーライン
地 形
戦国時代、毛利輝元が大名として中国5県を支配する中、築城の地を広島にしました。

その理由は、エネルギーの強い竜脈が、二葉山にあったからだといわれています。

 二葉山の周辺にはいまでも、寺社仏閣、神社が集まっているのも、うなづけます。
もちろん、周辺は四神相応の図にも叶っていました。

エネルギーライン
さて、城は普通、東西南北に沿って建てられますが、広島城は東北に16〜17度ずらして建てられています。

これはエネルギーの強い、東北ラインに乗るためです。また、広島城の東北に名山・大山があり、西南には宮島が位置しています。 自然のエネルギーを計算した、城づくりであるといえます。

さらにエネルギーラインに乗るような位置に、北東には比婆山、吉田城、白木山、南西には岩国城、湯布院、阿蘇山があります。
地震を増幅する活断層も、この方向に入っています。
その後の風水
エネルギースポットは、今も昔も中心は広島城です。しかし、その場所は使われていませんから、意味がありません。 

近くには県庁や球場もありますが、移転する予定ですから、さらに都市のパワーはダウンするかもしれません。
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