風水 家相 住宅風水 マンション風水 商業風水
風水の基本   戦国時代の風水  
生きるか死ぬか、究極の選択の時代。

だからこそ、中国でも日本でも、この時代は特に重宝されていました。

不安定な世の中・・・・・だからこそ風水

先が見えないのは、いつの時代でも先は常に見えないもの、戦国時代もまさにそうだった。

ゆえに人類は、洋の東西を問わず、占術と言うものを編み出し、それに頼ったのだ。
それしか先を知るすべがなかったからだ。そして、その中のひとつが「風水」なのだ。

では、歴史上どのようなときに、風水が必要とされてきたのだろうか? 

それは競争社会が激化し、世の中が極めて不安定になったときである。
古代中国でもそうだが、日本史で言うなら「戦国時代」がまさにそうだったのだ。

軍 師・・・・・陰陽師や修験者

戦いにおいて大将は、戦局を左右する可能性を秘めた方針を、なんと信頼できる家臣に、指示を仰いでいた。
それが「軍師」である。

軍師と言うと、豊臣秀吉に仕えた竹中半兵衛や黒田官兵衛のような「作戦参謀」をイメージしてしまうが、それは違う。

この時代の軍師は呪術、占術の専門家、すなわち神道の「陰陽師」のことを意味していた。
また、陰陽師のほかに密教の「修験者」を、軍師として登用していたことも多いのだ。


つまり、神社とお寺の知恵者である。

占星術や方位術・・・・・基本は風水の「時」

例えば奥州の覇者、伊達政宗は良学院栄真(りょうがくいんえいしん)なる、祈祷師を抱えていた。

また、九州を席巻し、鬼と言われた島津義久には、川田義朗(かわだよしあき)なる祈祷師がいた。

また天下を統一し風水都市「江戸」をつくった徳川家康には、天台密教高僧の「天海」がいた。

彼ら軍師が、どのようにして占術を行っていたのかは、さだかではない。
しかし、軍配に磁石がはめ込まれていたり、時間をあらわす十二支や、北斗七星の図が描かれていたのだ。

そんなことなどから、占星術、方位術での日時と方位の吉凶を見ていたことが伺える。つまり、風水の「時」に通じるのだ。

軍師の学校・・・・・儒教の教えの実践

軍師は、凶作用を吉作用に変える術を心得ていたので、危険を鎮めることが出来た。

そして彼らは何と、歴史の教科書にも出てくる「足利学校」で、この術をマスターしているのだ。
天台密教高僧の「天海」も、その一人だ。

足利学校は一般的に、儒学、漢学の研究機関ととらえられている。つまり、儒教の教えを実践していた。
しかし、周易、断易なども教える、軍師養成の専門学校でもあったのだ。

しかも全国から、三千人もの生徒が集まった。
そしてここの卒業生たちは、各地の戦国武将に仕えて、占術的アドバイスをしていくようになるのだ。

風水の家相への応用?  どこまで風水にこだわるか? 風水に見る敷地の欠け 家相の悪い家の対処方法?
家相に見る敷地と道路の関係 共同住宅の階段の位置 道路、または川との関係 マンションと戸建住宅の実例
どの風水が本当なの? 本来、風水って何? 風水の歴史 日本の都市づくり 戦国時代の風水
日本流風水と大陸流風水 相生と相剋 風水の基本四神相応の図?
いえねっと不動産 いえねっと 住宅・商業風水 KEデザインtop
風水 家相 住宅風水 マンション風水 商業風水