古代中国 |
そもそも風水は古代中国において、紀元前400年頃には、すでにあったようで、王や武将が利用していました。
その時代は戦国時代で、国中は皇帝の座を巡って、血で血を洗う時代でした。負けた側は、子供も含め親族皆殺しだったのです。
もし生き残ったものがいれば、成人して自分の命を狙いかねないという不安から、たとえ乳飲み子でも容赦ありませんでした。
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始皇帝 |
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その後、秦の始皇帝が始めて中国全土を統一し、風水も今の形に近いものに、まとめられ始めたといます。
その後、二世紀になって天文学、三世紀には気功も取り入れられ、医学にも応用され始めます。
また羅針盤の発展によって、八世紀に航海技術、九世紀に墓地の場所選択にも応用され始めます。
それ以降、大陸では家よりもお墓を大切にしています。
この点は日本とは違うところです。
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日本への伝来 |
日本には、現象としては古墳など、二世紀よりも古くから風水の思想が存在する、とも言われています。
少なくとも、仏教の伝来とともに、六世紀ごろ朝鮮半島を経由して、入ってきたという説は、堅いようです。
そして初めて風水を学び、実践したのは聖徳太子だと言われています。その後、高僧や陰陽師らによって、全国に広まって行きます。
都市の計画から始まって、寺社仏閣などの公的な建物へと応用されていきます。しかし残念なことに、江戸時代中期から、迷信や俗信が加わっていったようです。
もしかすると今も、風水は乱れつつあるのかもしれません。
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華僑の存在 |
世界的に見ると、華僑の存在が大きく、かれらが風水を国外に広めたようです。
台湾、シンガポール、上海、そしてニューヨークまでも、大規模のホテルや銀行、商業ビルの多くが、風水によって計画されています。しかし、大陸の風水は、鬼門や裏鬼門を重要視していません。
日本では、鬼門や裏鬼門を重要視しています。しかし、風水の長い歴史の中では、住宅やインテリアへの応用は、ごく最近の事です。どこまで応用していいかは、意見の分かれるところでしょう。
でも近年においても、大規模商業ビルへの応用は、まだまだこれからのようです。
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