★三人の重要人物・・・・・・・・福沢諭吉、渋沢栄一、岩崎弥太郎 |
明治の日本には、三人の重要な人物がいました。福沢諭吉、渋沢栄一、そして岩崎弥太郎です。
しかし彼らは個人としては、まったく異なっていました。
福沢は「実務家」、渋沢は「倫理家」、岩崎は「起業家」だったと言われています。
そして、同じ目標と未来を夢見て、近代国家・日本を創ったのです。
今日、三人の偉業により設立された大学や会社が、日本経済の発展を引っ張りました。
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★渋沢栄一の偉業・・・・・・・儒教道徳に基づいた経済活動 |
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渋沢栄一は、生涯に営利事業500余社、教育・福祉など社会公共事業600余件の設立に関わります。
そして、経営の神様と言われました。
代表例に、帝国ホテル・日本製鐵(現:新日本製鐵)・日本興業銀行・麒麟麦酒・東京瓦斯・清水建設・秩父セメント(現:太平洋セメント)・東洋紡績・東京海上保険会社(東京海上火災保険)など。
福祉・教育事業の例に、結核予防協会・聖路加国際病院・一橋大学・日本女子大学などがあります。
第一国立銀行を中心に岩崎財閥を形成しましたが、事業の多くは時期を見計らって、他者に経営権をゆだねます。
彼は、近代産業の育成・発達を第一とし、蓄財にはあまり関心を示さなかったと言います。
つまり、他の財閥とは一線を画した存在だったのです。
「道徳経済合一主義」とよばれる、儒教道徳に基づいた公正な経済活動と、富の社会還元を率先実践しました。
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★儒教と蓄財・・・・・・・相反する関係 |
儒教では、財産への執着を戒めています。
渋沢栄一が生涯、深く傾倒した「儒教の教え」にも、財産について否定的な見解がみられます。
「富をなせば仁であることができない。仁をなせば富むことができない」、と孟子はいいます。
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“仁”というのは、慈愛に近い心の状態です。しかし、自分の財産を殖やそうとする人は、他の人を蹴落とし、奪おうと考えないと商売が成り立ちません。
逆に、「博愛の人」というのは、蓄財ということには疎くなりがちなのです。儒教と蓄財は、相反する関係なのです。
孔子自身も、こう語っています。
「財産や名誉は人が欲するものである。だが、道理に外れて手に入れたのであれば、そんなものに安住したくはない。 |
貧乏や不名誉は人が嫌うものである。だが、道理にのっとっていてそうなってしまったのなら、無理に逃れようとは思わない」
「不義によって富を得、地位を得るのは、自分にとっては浮き雲のようにはかないものだ」
人は財産にこだわるとき、正しい道をはずれてしまいがちです。談合、賄賂、違法行為、利権、背任行為、消費者金融の問題、資金的に行き詰まった人たち……。 |
マスコミで取り上げるニュースの多くが、お金に関わっているのは事実です。
事実、商売について考えるとき、どうしても「損得」を考えなければいけません。
その思考は、ともすると謙譲や正直といった、美徳を失わせる結果になることも多いのです。
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★渋沢栄一と儒教・・・・・・・儒教道徳に基づいた経済活動 |
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しかし、財産を得ることは悪いことなのでしょうか。
また、商売というのは道徳不要の、アコギなものなのでしょうか。渋沢栄一は考えました。「そうではないはずだ」、と・・・・・。
孔子は、先ほど引用したとおり、「財産や名誉は人が欲するものである。
だが、道理に外れて手に入れたのであれば、そんなものに安住したくはない」、と語りました。この句について、渋沢はこのように記しています。
「孔子の言わんと欲するところは、道理をもって得た富貴でなければ、むしろ貧賤の方がよいが、もし正しい道理を踏んで得たる富貴ならば、あえて差し支えはないとの意である」 |
つまり、財産そのものが否定されるのではない。その財産を得る方法や、あるいは使い方、言い換えれば財産を手に入れる動機が問題なのだ、と渋沢は考えたのです。
こうして、渋沢は「論語と算盤の一致」「経済道徳合一説」を説くようになりました。
「カネのためならどんな汚いことでもやる」というのは、正しい商売の道ではありません。
もちろん、道理が伴わないような手段を使って金持ちになるくらいなら、貧しい方がいいのです。しかし、富や財産そのものを毛嫌いするわけではありません。むしろ、「道理にのっとっているならば、富も名誉も大いに結構ではないか」、というのが彼の理論なのです。
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★江戸時代の儒教・・・・・・・・商業は賤しい職業 |
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経済活動などは、儒教の教えを重んじる武士にはまったく不要でした。 「富をなせば仁であることができない」、のだから、当然です。その結果、貧乏な武士も多かったのです。
逆に商人などは、決して儒教の教えを実践できない、とまで言われていました。つまり、商業は賤しい職業と見なされたわけです。
だから、江戸時代の身分制度は、「士農工商」の順になっていました。儒教を尊重する士(武士)が上位にあり、儒教の教えと最も遠いものと考えられた商業が、最下位に置かれたのです。
一方で、そのように「賤業」と断言された商人は、開き直って「それならば商売に倫理などは不要」、とまで考えるようになってしまいました。 |
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財産を持つ者はだれも正しい道が実践できないというのなら、商人に論語など関係ない。金もうけに道徳だの倫理だの精神性だのはまるで不要、と考え始めてしまったのです。
実際、商売の世界には、「損得の観念に疎い者、馬鹿正直では必ずやり損なう」、という格言まであったそうです。
そして武士は、商人からお金を貸してもらう立場になりました。
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★商売人のホンネ・・・・・・・正直者はバカを見る |
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明治時代にも、この江戸時代からの考え方は一般的に広まっていました。
冒頭の岩崎弥太郎の考え方も、当時の世間一般の見方を、代弁したものというべきです。
戦後の日本でも、この考え方は横行していたでしょう。そして、このドサクサでうまくやったものが、財産を築き上げました。まさに、「倫理不要の商売」です。人身売買も、あったくらいです。
しかし現代においてもなお、利益を上げるためには時として、客をだますようなことがあっても仕方がない、といった考え方はあるでしょう。そして残念ながら、一部の商売人のホンネでもあります。 |
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そして、正直者はバカを見るのです。ただし、「倫理不要の商売」で逮捕される商売人、企業家、政治家は後を絶ちません。
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