★儒教の始まり |
儒教(じゅきょう)とは、紀元前の中国にはじまり、東アジア各国で2000年以上に渡って、強い影響力を持つ思考または信仰です。
その学問的側面から、「儒学」、思想的側面からは「名教・礼教」ともいいます。
始祖が孔子であったことから、「孔教・孔子教」とも呼びます。
中国では、哲学・思想としては儒家思想あるいは儒家(じゅか)で、宗教としては儒教で呼称しています。
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東周春秋時代、孔子によって体系化され、仁義の道を実践し、上下秩序の弁別を唱えました。
その教えは、徳によって天下を治めるべきであり、事実、そのように歴史が推移してきたとされています。
そして、その儒家思想が漢代、国家の教学として認定されました。
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★日本の儒教 |
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日本へ儒教が伝わったのは、今から約1500年前、513年のことです。
つまり、概ね5世紀頃には伝来していたものと考えられています。そして、聖徳太子の十七条憲法にも影響が及んでいたとされます。
江戸時代になると、それまでの「仏教の僧侶らが学ぶたしなみ」としての儒教から独立させ、一つの学問として形成する動きがあらわれました。 |
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林羅山が徳川家康に仕え、以来、林家が大学頭に任ぜられ、幕府の文教政策を統制しました。
その結果、江戸時代を通して、武家層を中心として儒教は日本に定着していきます。やがて、尊皇攘夷思想に結びついて明治維新への原動力の一つとなりました。
一方、一般民衆においては、学問としての儒教思想はほとんど普及しませんでした。
ただし儒教的な影響は、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」のような、大衆向けの本に見られるようになります。つまり、思想的な影響は絶大だったのです。
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★近代の儒教 |
封建時代は終わり、1885年に儒教的な道徳教育を規制する命令が出されました。
しかし、宮中の保守的な漢学者の影響によって、教育勅語などに儒教の忠孝思想が取り入れられます。
かつての日本の儒教は、武士や一部の農民・町民など限られた範囲の道徳でした。しかし、近代天皇制のもとでは国民全体に強要されたのです。
一方、渋沢栄一のように「洗練された近代人」とされる人達の中でも、社会貢献の重要性などにおいて、近代社会においてもなお、儒教の道徳観が通用する部分もあることを唱えた者もいました。
しかし、少数派に留まったのです。 |
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第2次世界大戦後、支配者に都合のよい前近代的な思想として批判を受け、影響力は弱まりました。しかし、現代でも『論語』の一節が引用されることは多く、日本人にとっては親しまれている存在です。
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★現在の儒教 |
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現在、儒教はあくまで「思想論の1種であって宗教ではない」、とする考えが一般的です。
しかし、儒教を思想とみなすか宗教とみなすかでは、完全に見解が分かれており、たびたび論争の焦点になっています。
儒教を宗教として扱った場合、教義に平等思想が無い事と、死後の世界の観念が無い事による死後の再評価ができない事も、問題視されています。
何よりも、神の存在を完全に否定している事から、宗教として扱われる思想ではない、という見解が圧倒的に多いのです。
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