陰陽師とは |
いまから1300年以上前、古代日本に於いて、官職の1つとして確立されたのが、「陰陽師」です。風水と同じ、陰陽五行の思想に基づいた陰陽道によって占いや地相などを行っていました。 |
また、宮中において建築を行う際の吉日選定や、土地・方角などの吉凶を占うことで、遷都の際などに重要な役割を果たしました。
たとえば、長岡京から平安京への遷都です。遷都はまさに、風水そのものです。
そして後には、占術・呪術・祭祀全般を、陰陽師がつかさどるようになります。
9世紀初頭の平安時代初期まで、陰陽道は国家機密として管理されていました。古代中国と一緒ですね。
また、政治運営や人事決定から天皇の譲位に至るまで、多大な影響を及ぼした。
後に10世紀に入って、賀茂氏と安倍氏の2家による、独占世襲が見られるようになります。
そして映画にもなった、有名な安倍 晴明(あべの せいめい)の登場です。
中世以降は、主に各地において民間で個人的に占術・呪術・祭祀を行う者も出てきます。
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現代において陰陽師は、民間で私的祈祷や占術を行う、神職の一種として定義付けられています。
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安倍 晴明 |
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今から1000年以上前、平安時代の最も有名な陰陽師の一人が、安倍 晴明(あべの せいめい)です。そして、鎌倉時代から明治時代初めまで、陰陽寮を統括した安倍氏の祖先に当たります。
当時、最先端の呪術・科学であった、「天文道」や占いなどの陰陽道の技術に関して、卓越した知識を持ったエキスパートでした。
また、平安貴族たちの信頼を受けた大陰陽師で、その事跡は神秘化されて数多くの伝説的逸話を生んでいます。
85歳で亡くなられた後、「稲荷大神」の生まれ変わりであるということで、当時の天皇の指示によって晴明神社を創建されました。
安倍晴明を祀る神社は、京都の屋敷跡に建てられたという晴明神社や、生誕地の大阪市阿倍野区に建てられたとされる、安倍晴明神社など全国各地に存在しています。
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五ぼう星 |
晴明神社の神紋は晴明桔梗ともいわれ、安倍晴明が創った独特のもので、陰陽道に用いられる祈祷呪符の一つです。
天地五行(木・火・土・金・水)を象徴した、宇宙万物の除災清浄を表します。厄除・開運を願い、身に付ける風習が各地にあります。
西欧諸国にもこれが広まり、ギリシャではペンタグランマと称され、各国の軍隊にはこの星を弾丸除けと信じ使用したそうです。
日本の陸軍将校の帽子の天部にも、この紋が縫い込まれていました。ものすごい、影響力ですね。
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陰陽師の養成学校 |
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軍師は、凶作用を吉作用に変える術を心得ていたので、危険を鎮めることが出来ました。そして彼らは何と、歴史の教科書にも出てくる「足利学校」で、この術をマスターしているのです。
天台密教高僧の「天海」も、その一人です。足利学校は一般的に、儒学、漢学の研究機関ととらえられています。
しかし、周易、断易なども教える、軍師養成の専門学校だったのです。しかも全国から、三千人もの生徒が集まったといいます。
そしてここの卒業生たちは、各地の戦国武将に仕えて、占術的アドバイスをしていくようになったのです。
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