欧米の成功者の解説・・・・アンドリュー・カーネギー |
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世界の鉄鋼王と呼ばれた彼は、まさに世界一の大富豪になりました。
しかし、そこまでになるのには、苦労の連続でした。
1848年に移民として、スコットランドからアメリカに渡りますが、渡米後、父親が事業に失敗したために、13歳のときから、ボイラー・マンや電信会社のメッセンジャー・ボーイなどをして働きました。
そうした境遇の中にあって、自ら打ち立てた『成功の黄金律』に従い、向上心に燃え、与えられた以上の仕事を率先して行なったのです。
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そして、その積極性が上司に認められ、鉄道会社の管理局長なども務めますが、生涯における大目標として鉄鋼業に着目します。
種々の事業に関係しながら、鉄鋼事業を展開します。自らの持つアイデアと決断力を、十二分に駆使することで事業を拡大し、世界の鉄鋼王として、揺るぎない地位を占めるに至るのです。
そして、1901年の鉄鋼大合同により、巨万の富を得ました。
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しかし、彼が素晴らしいのは、ここからです。
以降、自らを世界一の大富豪にした『成功の黄金律』を、確固とした体系的なものにしようとしたのです。そして、世界中のどの人々にも活用しうるよう『長期に渡る裏付けと研究』を行おうとしたのです。
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また、晩年は慈善事業に力を注いだカーネギーは、カーネギー財団を設立した他、カーネギー・ホール等を建設しました。
さらに、2,811もの公共図書館や、自己資金のなかから寄付をして多くの公共施設を作り上げ、国際社会に大きく貢献したのです。 |
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欧米の成功者の法則・・・・・ナポレオン・ヒル |
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1908年、当時25歳で新聞記者であったナポレオン・ヒルは、鉄鋼王として著名なアンドリュー・カーネギーに、インタビューする機会を得ました。
その取材の中で、ヒルの能力を見抜いたカーネギーは、三日三晩に渡って熱弁を振るい、最後に次のような提案を持ちかけました。
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「すでに私の培った成功の秘訣を君に伝えたが、この私の秘訣を裏付けるために、さらに万人に共通した成功の哲学を発見する事業を、引き受けるつもりはないかね。
それは今後20年間におよぶであろうが、金銭的援助は一切無しでだ。ただ世界的に傑出した多くの成功者を君に紹介する。答えはイエスかノーでよい」 |
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一切の否定的な考えを自分の中から捨て去り、ヒルは偉大な決断をしました。それに要した時間はわずかに29秒でした。
そのときヒルは、事業の真の意義と重要性を瞬時に理解し、多くの人々を繁栄と心の平和に導く、チャンスをつかんだのです。 |
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カーネギーの志を受けてヒルが着手した事業は、想像を絶する規模で展開されました。
20年の歳月と500余名の著名な成功者たちの協力を得て、1928年、『ナポレオン・ヒル・プログラム』は完成しました。
その協力者には、ヘンリー・フォードをはじめ、トーマス・エジスン、ライト兄弟、グラハム・ベルなどの、そうそうたる成功者が名を連ねています。 |
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